暑い日が続いていますね。本当に寝苦しいのが辛いです。
ここ最近は、 研究や論文執筆も少し落ち着きつつある感じです。
とは言っても、もちろんすることは多いのですが…
ところで、
大学院って医師のキャリアとしてどうなのでしょうか?(唐突)
私の場合は、記事:なぜIELTSなのか??(1)(2)(3)のところでも
少し触れましたが、
卒後2年は市中病院で初期研修を行った後、
卒後3年目に入局して大学病院で1年勤務しました。
大学病院では、
市中病院ではなかなかないような希少症例や、
難治症例が多い為、自分で執刀どころか、
前立ち(助手)としてもほとんど経験はできず、
仕事のほとんどはサマリー作成、
カンファレンス用のカンペ作成、患者さんの回診
で終わるのが日常でした。
かと言って忙しくないわけもなく、
手術が長くかかることが多いと帰宅時間は
22時を超えることもしばしば。
ラッキーだったのは、
大学当直や外来はdutyではなく
(というよりも してはいけなかった)、
医局から派遣された寝当直バイトに月2回程度行くことぐらいでした。
ただ、環境として
学会発表の機会は多くもらえる状況にあったので、
臨床研究の機会があれば他の同期よりは積極的に手を挙げていた
ことを覚えています。
そのおかげで、卒後4年目に海外でoral presentationをさせてもらえたのは良い経験でした。
その後、卒後4年目から地方の2.5次病院に派遣されることになりました。
その病院は主治医執刀制で、
とにかく多くの症例の執刀をさせてもらうことが出来ました。
大学病院に1年いたことで、
他の整形外科の先生よりも遅れているという危機感
があって、自分の中では
「とにかく手術を経験して自分の腕を磨かないと」
と思っていました。
今から考えると、自分から勤務状況をブラックに
していたような気がします(苦笑)
積極的に手術症例を請け負って、
緊急手術も半分喜んで担当していたような、、
自分で考えても少しマッドマンですね。。。
もちろん、超勤時間は多く、その為に院長に呼び出されたこともありました。。
そういった状況で、
自分のキャリアパスを少し真剣に考え始めたのが卒後5年目でした。
というのも、私の所属医局では、
2年周期で若手医師は病院をローテートしていくのが基本路線だったからです。
ですので、
別の病院に勤務するのか、あるいは大学院という選択肢もある、
という状況でした。
私の考えとしては、
・臨床(特に手術)を究めることが重要だと思うけど, 本格的な研究も1度はやってみたい。
・せっかく一度きりの人生なんだし、できれば留学もしてみたい。
という考えがあったことと、市中病院に派遣された1年少しで
・自分ではどうすることも出来ない難治症例が少なからず存在する。
・付け焼き刃的な知識しか自分は持ち合わせておらず、真理をもっと追求したい。
という気持ちもあったことが相まって、大学院への進学を希望することにしました。
そして教授と面談し、卒後6年目からの大学院入学、という道を歩み、今に至っています。
はっきり言って、これが良かったのか悪かったのかは分からないし、
誰にも評価出来ないと思います。
ただ、大学院に入学して3年経った今から考えると、
・ 臨床を離れて(医局にもよりますが)、絞ったテーマに集中して勉強できた。
・ 開業医の先生、他学部の先生(私の場合は工学部や理学部の先生)との出会いがあり、そこから得られるものが意外と多かった。
・ 臨床しているよりは時間があるので、他の分野の本を読んだり、資産形成などの勉強が十分にできた。
・ 留学への足がかりを作ることが出来ている(現在進行系)。
この辺りは、大学院に入学して良かった点かなー、と思っています。ただ、
・ 臨床から離れている期間が長いので、(術後管理含めて)手術がまたできるのか不安。
・ 研究時間が不規則で、時に何日も研究室に引きこもることも。
というデメリットもあったかな、と思います。
特に1つ目のデメリットは、正直に現在進行系で不安です。
次の記事に続きます。
ここ最近は、 研究や論文執筆も少し落ち着きつつある感じです。
とは言っても、もちろんすることは多いのですが…
ところで、
大学院って医師のキャリアとしてどうなのでしょうか?(唐突)
私の場合は、記事:なぜIELTSなのか??(1)(2)(3)のところでも
少し触れましたが、
卒後2年は市中病院で初期研修を行った後、
卒後3年目に入局して大学病院で1年勤務しました。
大学病院では、
市中病院ではなかなかないような希少症例や、
難治症例が多い為、自分で執刀どころか、
前立ち(助手)としてもほとんど経験はできず、
仕事のほとんどはサマリー作成、
カンファレンス用のカンペ作成、患者さんの回診
で終わるのが日常でした。
かと言って忙しくないわけもなく、
手術が長くかかることが多いと帰宅時間は
22時を超えることもしばしば。
ラッキーだったのは、
大学当直や外来はdutyではなく
(というよりも してはいけなかった)、
医局から派遣された寝当直バイトに月2回程度行くことぐらいでした。
ただ、環境として
学会発表の機会は多くもらえる状況にあったので、
臨床研究の機会があれば他の同期よりは積極的に手を挙げていた
ことを覚えています。
そのおかげで、卒後4年目に海外でoral presentationをさせてもらえたのは良い経験でした。
その後、卒後4年目から地方の2.5次病院に派遣されることになりました。
その病院は主治医執刀制で、
とにかく多くの症例の執刀をさせてもらうことが出来ました。
大学病院に1年いたことで、
他の整形外科の先生よりも遅れているという危機感
があって、自分の中では
「とにかく手術を経験して自分の腕を磨かないと」
と思っていました。
今から考えると、自分から勤務状況をブラックに
していたような気がします(苦笑)
積極的に手術症例を請け負って、
緊急手術も半分喜んで担当していたような、、
自分で考えても少しマッドマンですね。。。
もちろん、超勤時間は多く、その為に院長に呼び出されたこともありました。。
そういった状況で、
自分のキャリアパスを少し真剣に考え始めたのが卒後5年目でした。
というのも、私の所属医局では、
2年周期で若手医師は病院をローテートしていくのが基本路線だったからです。
ですので、
別の病院に勤務するのか、あるいは大学院という選択肢もある、
という状況でした。
私の考えとしては、
・臨床(特に手術)を究めることが重要だと思うけど, 本格的な研究も1度はやってみたい。
・せっかく一度きりの人生なんだし、できれば留学もしてみたい。
という考えがあったことと、市中病院に派遣された1年少しで
・自分ではどうすることも出来ない難治症例が少なからず存在する。
・付け焼き刃的な知識しか自分は持ち合わせておらず、真理をもっと追求したい。
という気持ちもあったことが相まって、大学院への進学を希望することにしました。
そして教授と面談し、卒後6年目からの大学院入学、という道を歩み、今に至っています。
はっきり言って、これが良かったのか悪かったのかは分からないし、
誰にも評価出来ないと思います。
ただ、大学院に入学して3年経った今から考えると、
・ 臨床を離れて(医局にもよりますが)、絞ったテーマに集中して勉強できた。
・ 開業医の先生、他学部の先生(私の場合は工学部や理学部の先生)との出会いがあり、そこから得られるものが意外と多かった。
・ 臨床しているよりは時間があるので、他の分野の本を読んだり、資産形成などの勉強が十分にできた。
・ 留学への足がかりを作ることが出来ている(現在進行系)。
この辺りは、大学院に入学して良かった点かなー、と思っています。ただ、
・ 臨床から離れている期間が長いので、(術後管理含めて)手術がまたできるのか不安。
・ 研究時間が不規則で、時に何日も研究室に引きこもることも。
というデメリットもあったかな、と思います。
特に1つ目のデメリットは、正直に現在進行系で不安です。
次の記事に続きます。